【あの時あの動き、過去から学ぶ】ルーブル合意(1987年2月:153.50円±2.5%)
山下 政比呂
この記事の著者
DZHフィナンシャルリサーチ 為替情報部 アナリスト

証券会社で株式・債券の営業、米系銀行で為替ディーラー業務(スポット、スワップ、オプション)に従事。プライベートバンクでは、為替のアドバイサーとして円資産からドル建て資産への分散投資を推奨してきたドル高・円安論者。「酒田罫線法」「エリオット波動分析」「ギャン理論」などのテクニカル分析をベースに、ファンダメンタルズ分析との整合性を図り、相場観を構築。2016年にDZHフィナンシャルリサーチに入社。

為替の仕組み
ルーブル合意 top s

1987年2月22日、フランスのパリのルーブル宮殿で、先進7ヵ国(G7)財務大臣・中央銀行総裁会議が開催され、1985年9月22日のプラザ合意でのドル高是正・ドル安誘導によるドル下落に歯止めをかけるドル安是正の政策協調が合意されました。

ルーブル合意では、ドル安に歯止めをかけるため、「為替相場を現行の水準の周辺(around the current level)に安定させる」ことが合意されました。
1) 各国通貨の変動に許容範囲(レファレンス・レンジ)を設ける
2) 許容範囲を超えた場合、当該通貨当局が協議の上で為替介入を行なう

1985年9月のプラザ合意は、米国の貿易赤字を削減するために、ドル高を是正し、協調ドル売り介入によりドル安誘導が合意されました。
ドル円は、プラザ合意直前の240円台から、ルーブル合意直前には150円台まで下落しました。
しかし、ドル安により米国でのインフレ懸念が高まりましたので、ルーブル合意で、ドル安に歯止めをかけ、為替相場の安定が目論まれました。

プラザ合意の時は、G5(アメリカ・イギリス・西ドイツ・フランス・日本)でしたが、ルーブル合意では、イタリアとカナダが加わり、G7となりました。

レファレンス・レンジ(reference range)というのは、一定のレベルから離れた場合に協調介入を行うというものです。
ドル円の場合は、1ドル153.50円を中心レートとして、この上下2.5%(3.84円)で初期を介入し、5%に達した場合は、政策協議を開始するという内容でした。
すなわち、ドル円の上限は157.34円付近、下限は149.66円付近に設定されました。

ドル安・円高に歯止めをかけるために、日本銀行は、政策金利を引き下げ、米連邦準備理事会(FRB)は、政策金利を引き上げました。
そして、8月には、ボルカー第12代FRB議長が辞任して、グリーンスパン第13代FRB議長が就任していました。
9月には、グリーンスパン第13代FRB議長が政策金利を5.5%から6.0%に引き上げました。

ドイツ連邦銀行は、インフレを抑制するために、政策金利を高めに誘導していき、10月に政策金利を引き上げました。
怒ったベーカー米財務長官は、「ルーブル合意」でのドル安阻止を放棄すると示唆しました。

1987年10月19日(月曜日)、ニューヨーク・ダウは、米国の金利上昇やドル暴落懸念が高まったことで、史上最大の下落(▲22.6%:▲507.99ドル)を記録しました。

本記事は2022年11月6日に「いまから投資」に掲載された記事を、許可を得て転載しています。

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