取引高世界3位の日本円
金 星
この記事の著者
DZHフィナンシャルリサーチ 為替情報部 アナリスト

中国出身。横浜国立大学大学院卒業後、国内商品先物会社に入社。
外国為替証拠金取引会社へ出向し、カバーディール業務に携わりながら市況サービスも担当。2013年にDZHフィナンシャルリサーチに入社。

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円は日本国の法定通貨の通貨単位。外国為替市場や為替レートなど、日本以外の通貨との関りの深い分野では、「日本円」という表記や呼称がよく用いられ、国際通貨や特別引出権のひとつであります。

円は世界中の国で外貨準備として3番目に多く使われている通貨であり、為替市場における取引高も第3位を示しています。

ドル固定相場制とその崩壊による円の動き

第二次世界大戦後のブレトン・ウッズ体制では、ドルを介した金為替本位制であり、1ドル=360円の固定相場制でした。同時はこのドル固定相場制が世界的な経済の安定をもたらしたが、1960年以降は米国からドルの流出が続き、ドルの地位低下が深刻なものとなりました。

このブレトン・ウッズ体制は1971年8月15日のニクソン・ショック(ドル・ショック)により、アメリカがドルの金兌換を停止したことで崩壊し、同年12月18日にはスミソニアン協定がIMFの10カ国グループ(G10)の間で結ばれ、円は日本の経済成長を反映し、それまでの1ドル=360円から大幅に切り上げられ、1ドル=308円に決定しました。

ただ、その後もドルの下落は止まらず、各国が次々とスミソニアン体制から脱退して変動相場制へと移行しました。日本も1973年2月に変動相場制に移行します。

変動相場制に移行後の円の動き

変動相場制への移行後、上下を続けた円相場は1970年代末にアメリカのインフレ対策への失望から急速に円高へ進みました。1985年、高すぎるドル相場の安定的是正を目指してプラザ合意が行なわれると、円相場は1年で2倍の円高となり、バブル経済期に一時的な円安を迎えた後、1995年にかけて円高が進み1ドル=70円台後半まで円高が進みました。

1990年代後半には「強いドル政策」と日本の金融危機により円安が進行した後、緩やかに円高に向かったが、2012年に第2次安倍内閣が発足後大規模金融緩和を開始したことで円安が進んでいます。

年代要件
1826-1914年金本位制でポンドが基軸通貨
1849年4月1ドル=360円の固定相場を設定
1971年4月1ドル=360円の固定相場が終了
1971年8月ニクソンショックで金ドル本位の固定相場が崩壊
1973年2月ドル円レートが完全変動相場制に移行
1985年9月プラザ合意により円が急伸
1995年4月1ドル=79.75円まで円高
1997年7月アジア通貨危機の影響で円安
1998年8月ロシア危機でリスクオフの円買い。1ドル=147.66円から115円前後に
2011年10月リーマンショック後の米緩和策の影響で1ドル=75.32円と円最高値を記録
2012年12月第2次安倍内閣が発足、翌年黒田日銀就任で大規模金融緩和を開始し円安に
2022年現在日米金融政策の違いで、1ドル=147円手前と24年ぶりの円安が進んでいる

安全通貨としての円

円は、スイスフラン(CHF)などとともに主要な安全通貨の 1 つと見られています。円は、2000 年代半ば以前はドルの変動の主要な受け皿通貨の傾向が強く、ドルとの連動性を高めて安全通貨としての傾向が強まったのは 2000 年代半ば以降です。

ただ、最近はリスクオフ局面で円を買う動きがやや低下しています。これまで国際金融市場の混乱時に円が堅調となる根拠は、金利低下とコモディティー値下がり、日本の膨大な経常収支黒字だが、足元ではいずれも存在しません。

米連邦準備理事会(FRB)の利上げ観測を受けて金利は世界的に上昇し、エネルギーや他のコモディティーの価格は高騰、日本の経常黒字は小幅にとどまり、しかも消滅しつつあります。

本記事は2022年11月6日に「いまから投資」に掲載された記事を、許可を得て転載しています。

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