経営者インタビュー Vol. 2
この記事の著者
フリーランスライター

鹿児島県出身。PR代理店にてPRコンサルタントとして活動後、楽天株式会社の広報部にて新規サービスの広報に携わる。その後freee株式会社に転職しスタートアップの広報を経験後、独立。企業や団体の広報活動支援や、ライティング業務などを行っている。

ケーススタディー
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カメレオンのように時代に合わせた変化で3代にわたり事業継続

お客さまに寄り添うBe Thereの精神で海外展開

1937年に創業し、85年以上ものあいだ、機械部品の総合商社として日本と海外で多岐にわたる事業を展開してきた八千代産業株式会社。

日本全国に7つの営業拠点と2つの物流拠点、そして海外に2拠点を構え、グローバルにおける機械部品の製造・流通・販売の要となっています。

代表取締役の山本敏夫氏に、時代の変化にどう適応してきたのかや、世界経済の様々なフェーズに合わせた海外展開、為替についてなどのお話をうかがいました。

戦前から続く、日本と世界で機械部品のハブとなる総合商社

八千代産業は、ベアリングを始めとした機械部品、精密機器、電気・電子部品を国内外約550社のメーカーに製造していただき、日本と海外のお客さまへ販売する総合商社です。

機械部品として一般消費者の目に触れることが少ないベアリングですが、機械の回転には必ず使われています。家電や自動車など、生活の身近なところでベアリングが活躍していて、家の中でもざっと100近くのベアリングが使われていると言われています。

当社では仕入れ・販売ルートによって大きく4つの事業を展開しています。国内製造の製品を国内で販売するIN-IN、国内製品を海外で販売するIN-OUT、海外製品を国内で販売するOUT-IN、 海外製品を海外で販売するOUT-OUTです。海外取引先は、シンガポール、中国、アメリカ、香港、タイ、マ レーシア、台湾が多く、近くベトナムにも展開する予定です。

輸出入は売上全体の15%ほどを占め、中国に設立している現地法人では、中国国内で仕入れ現地で販売するOUT-OUTが約7割です。

八千代産業は、1937年に祖父が立ち上げた会社です。祖父は当時大手商社に勤めていました が、本業の昼休みに会社を抜け出し、自分で事業を開始したのが八千代産業の始まりです。今で言うベンチャーのようなかたちでしょうか。戦前は軍需関係の部品などを扱い、戦後は自動車や電車など民間の産業に移行していきました。

私が入社したのはバブルのころ。当初継ぐつもりはなく周りと同じように就職活動をし、運動部だったこともあり内定は大手企業からいくつももらえていました。そんなあるとき、祖父と父に呼ばれ、八千代産業に入社するよう言われました。朝何時に来てもいい、車で出社していい、夕方何時に帰ってもいい、楽だぞ、と説得されたのです。そんなに楽ならと(笑)、銀行や大手商社の内定を蹴って入社しました。ところが入ってみると、実は真逆でみっちり働かされましたね。

入社後しばらくして祖父が亡くなり、その後8年ほどして父親も他界し、私が30歳の頃、1999年に会社を継ぎました。

Be Thereの精神でお客さまに寄り添う

1994年、私が25歳のときに、大口の国内取引先がマレーシアに工場を出すとのことでついていったのが、八千代産業としての本格的な海外展開の始まりです。90年代から日本企業の海外進出が本格化し、当時は東南アジアを足がかりに海外展開する企業が増えていました。シンガポールにアジアのヘッドクォーターを置き、そこからマレーシアやインドネシアへ展開する流れが定石でした。

八千代産業でも、日本企業の動きにあわせ、父が社長の時代にシンガポールと香港に拠点を開設し、私が継いでから上海と深センに拠点を設けました。

国内企業の海外展開にあわせ、IN-OUTのかたちで海外事業を拡大させていきましたが、その他にも時代の流れに合わせて柔軟に対応してきました。

1ドル80円のような時代もありました。当時は日本からの製品輸出だと高いので、日本の仕入先も海外に工場を出し、現地生産して日本または海外で販売するような流れも増えてきたことで、 海外での現地生産、現地販売のOUT-OUTの事業が加速していきました。

海外展開の背景には、八千代産業で大事にしている「Be There」の精神があります。営業担当者であれば、外に出てお客さまと会うことが仕事です。会社としても、お客さまが海外に拠点を出すならば側にいて、多種多様なニーズに柔軟に対応できるようにしておく必要があります。

新型コロナの影響でテレワークも進み、新しい働き方も当たり前となりつつありますが、お客さまの近くに物理的に寄り添うことは重要です。マスク着用のように新型コロナ渦で癖になってしまったこともありますが、現場にいることの価値を大切にしていくことは、これまでもこれからも変わりません。

85年以上も事業を続けていれば、社会のあり方も大きく変わります。

私が入社した直後、当初は電子メールはなく、FAXや電話でやりとりするような時代。90年代の終わりから携帯電話が普及しはじめ、インターネット、スマートフォンと、業務ツールも大きく変化しました。

社会情勢や事業環境から、雇用のあり方、日々の業務ツールまで、世の中の様々な変化に柔軟に対応してきたことで、大事にしている考えを変えることなく、ベースにあるものをしっかり引き継ぎながら、ここまで事業を継続できてきたのだと思います。

失敗は日常的にしょっちゅうあり、日々トライアンドエラーを重ねています。高い授業料を払ったような事件もありましたが、おかげで多少のことでは驚かなくなりました。日々の失敗を糧とし、事業を末永く続けていきたいと思います。

お客さまありきの為替コントロール

為替は事業の様々な面でインパクトを与えます。輸出入など物の移動に為替リスクが発生すると思われることが多いですが、それだけでなく、在庫の評価などにも大きく影響します。

当社では、物を送る地域と在庫を管理する地域が別であることがあり、それぞれの担当者に為替の共通の意識があるかというと、そうでない場合もあります。送る側は送ったものの価値が為替に上下することをよりある程度意識しますが、在庫管理の場合は日常で意識することはなく、 決算のときに為替による差に驚くようなことがあります。

輸出入における為替において、為替予約を例えば3カ月130円で固定しても、2022年のように2 日たったら150円近くになるような大荒れすることもあります。取引ごとに為替を設定すべきとも思いますが、煩雑さに躊躇して敬遠されがちです。

短い期間に振れ幅が大きくなると赤字取引を覚悟しなければならない状況も発生しますし、あまりにも為替で差損がでたときには、お客さまと交渉することもあります。

為替で会社が潰れたという話はあまり聞ききませんが、事業の存続に影響するほどではなくとも気になる額ですし、日々変動し、様々なところにインパクトがあるうえ、予測ができないので調整に苦労しています。

「いま円安だから輸出を拡大させよう」というのも、お客さまを見ていない商売になってしまいますから、為替については差損がでない範囲内で調整するようにしています。

カメレオンのように時代に合わせて変化

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(八千代産業マスコットキャラクター、カメレオンのルーカス君)

八千代産業がここまでこられたのも、お客様からの信頼を第一に考え、一貫してビジネスの基盤にしてきたからです。これからも、ご縁を大切に事業を続けていきたいと思います。

世の中はコネである、というと嫌がる人もいますが、つまりは今の自分の置かれた状態で人と会ったり、誰かに紹介してもらったりと、動くことでつながるご縁を大事にすることです。

これまで3代にわたり、根底 にあるものは変えず、やり方を変えてきた歴史や思い、考え方をまとめた引継書を、今後5年をかけて つくろうとしています。

当社のマスコットキャラクターは、カメレオンのルーカス君です。カメレオンは周囲と同じ色に変化 しますが、かたちは変わりません。カメレオンのように、どんな時代にも色を合わせられる柔軟性を持ちながら、姿としては変わらず、次の世代に、千代に八千代につなげていきたいと思います。

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